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初めての人の浄土真宗の教え 私達はいま自分が迷っているという認識がありません。自分のことは自分が一番分かっていると思っています。 しかしながら、自分自身の明日さえもわからないのが本当のところではないでしょうか? 迷っている者同士がいくら集まって話し合っても解決の道を見つけることはできません。 悟られた方の言葉にしたがうほかはないのです。 浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、その解決の道を阿弥陀如来のご本願に求められました。 阿弥陀如来のご本願とは「いのちあるすべてのものを救いとる」という願いであり、 「南無阿弥陀仏」というお念仏を称える者はみんな、この世で命が終わったと同時に 阿弥陀如来が建てられたお浄土に仏として生まれさせていただくのです。 そしてまた、阿弥陀如来の願いを聞くことにより、心豊かな人生を歩み、「南無阿弥陀仏」というお念仏とともに、 喜びの日々を送ることのできるのです。 悲しいとき、つらいとき、静かに仏さまに手を合わせお念仏を称えてみてください。 心が落ち着いてくるでしょう。〜お念仏の生活のスタートは、よろこびの人生のスタートです〜お念仏を通して、私たちは幸せも不幸せも関係なく、 いただいた「いのち」をただひたすら 精一杯に生きていくことができるのです。お念仏の人生は、安らかな喜びの中にあって、 自己中心的な生き方を見つめ直すことができます。 line abc3 abc4-1  abc5-1 ◎浄土真宗のみ教えの3つのキーワード 「他力本願」という言葉は、浄土真宗において、み教えの根幹に関わる最も重要な言葉です。 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がいわれた「他力」とは、自然や社会の恩恵のことではなく、もちろん他人の力をあてにすることでもありません。また、世間一般でいう、人間関係のうえでの自らの力や、他の力という意味でもありません。「他力」とは、そのいずれをも超えた、広大無辺な阿弥陀如来の力を表す言葉です。 「本願」とは、私たちの欲望を満たすような願いをいうのではありません。阿弥陀如来の根本の願いとして「あらゆる人々に、南無阿弥陀仏を信じさせ、称えさせて、浄土に往生せしめよう」と誓われた願いのことです。この本願のとおりに私たちを浄土に往生させ、仏に成らしめようとするはたらきを「本願力」といい、「他力」といいます。 私たち念仏者は、このような如来の本願のはたらきによる救いを、「他力本願」という言葉で聞き喜んできたのです。ここにはじめて、自らの本当の姿に気づかされ、いまのいのちの尊さと意義が明らかに知らされるのであり、人生を力強く生き抜いていくことができます。 「悪人正機」とは、「悪人こそが阿弥陀如来の救いの本当のめあてである」という意味で、阿弥陀如来の慈悲のこころを表す言葉です。 阿弥陀如来は、平等の慈悲心から、すべての生きとし生けるものに同じさとりを開かせたいという願いを発されました。だからこそ、この慈悲のこころは、今現に迷いの中で苦しんでいるものに注がれるのです。 ですから、「悪人正機」という言葉を聞いて、悪事を犯してもかまわないと開き直ったり、悪いことをしたほうが救われると考えるのは、誤った受けとめかたです。 経典には、この如来の慈悲が、<病に苦しんでいる子に特に注がれる親の愛情>にたとえて説かれています。親鸞聖人は、このような阿弥陀如来の慈悲に出遇い、その慈悲が注がれているのは、他でもない煩脳に満ちあふれた自分自身んであると受けとめられました。 私たちは毎日いろいろな生き物のいのちを奪いながら生きています。また、めぐり合わせによってはどんな恐ろしいことでもしてしまします。このような私の姿に気付かせ、同時にそのまま救い取ってくださるのが阿弥陀如来の慈悲であり、そのこころを表すのが「悪人正機」という言葉です。 abc9    

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