浄土真宗 ごえんネット / Shin-Buddhism goen net

トップ > 初めての人の浄土真宗の教え
bozu-question_bn

butudan_bn

bozu-question_bn-question

死人がいないのでお仏壇は要らないのですが…

 
bozu-question_bn-anser

お仏壇とは字のごとく、仏さまがいらっしゃる”壇”のことです。 仏さまとは、浄土真宗の場合、阿弥陀仏(あみだぶつ)をさします。つまり、阿弥陀という仏さまがおられる場所がお仏壇というわけです。 よく勘違いされるのは、「家族の誰も 亡くなってないからお仏壇は必要ないのでは…」と思われることだそうです。

実際、「家族の死」という悲しみを縁としてお仏壇を求めるという話の方が多いのも事実でしょう。しかし、だからと言って、お仏壇は「亡き人が入られるところ」と決めつけてしまうと、本来の意味がわからなくな る恐れがあります。 お仏壇は、亡き人(の霊魂)が「入るところ」なのではなくて、亡き人の”尊さや真実心に触れるところ”と捉えられないでしょうか。 また、亡き人の”願いを聞く場”でもありますし、”仏となって、つねに私を見守ってくださる亡き人の 心に出遇う場”でもあります。つまり、亡き人も私も、ともに仏さまに包まれ、心の温もりを味あわせていただく場がお仏壇なのです。 いろいろななやみを抱え、悲しみや怒りに心乱す私たちに、真実の安らぎを与えてくださるのが仏さまです。その仏さまに、”私”が出遇う場がお仏壇です。 ですから、どんなスタイルであっても、生きる依りどころとなってくださる仏さまをお迎えするために、まずはお仏壇を自分たちの生活空間に置いてください。

line

osushiki_bn Q 法事と法要の違いとは何ですか? A 一般的に「法要」とは、仏教において釈迦様の教え(仏法)を知るということ、葬儀や追善供養(遺族が故人の冥福を祈る仏教儀式)のことを指します。「法事」は、故人を縁とした追善供養の仏事の総称を指します。現代では「法事」と「法要」、両者の区別をあまり意識することなく呼んでいますが、厳密にはお経をあげてもらう事を「法要」と呼び、法要後の会食(お斎 おとき)まで含むものを「法事」と表現しているようです。 また、一般的に「法要」も「法事」も、遺族が故人を偲び冥福を祈るために行う「追善供養」のことを指しているようですが、浄土真宗ではご臨終と同時に極楽往生すると考えるので、中陰の法要の意味は故人を偲び、仏法に接するためのものと考えます。
10 10
  line Q 法要の時期がわかりません A 仏教では、法要を行う日が決まっています。宗派によって様々な考え方がありますが、日本の仏教では亡くなってから四十九日までを「中陰」と呼び忌中とされ、四十九日目(満中陰)に来世の行き先が決まると考えられています。そして、四十九日までは七日ごとに忌日が設けられており、それぞれ法要が営まれます。(一般的な忌明けは四十九日ですが、地域によっては、三十五日が忌明けの場合もあります)。このうち親族や友人などを招いて法事を営むのは、「初七日」(地域によります)と「七七日(四十九日)」と言われており、それ以外の忌日は、遺族のみで供養をすることが多いようです。また、四十九日目の満中陰法要の日程を決める際、法要の日が平日にあたる場合には、直前の土曜日か日曜日にずらすのが一般的です。命日の100日後には、「百か日法要」が営まれます。そして、以後、一周忌、三回忌と続き,宗派によっては百回忌まで法要が営まれる場合もあるようです(浄土真宗は五十回忌まで)。百か日までの法要を「忌日法要」と言い、一周忌以後の法要を「年忌法要」と呼びます。なお、三回忌からは回忌という数え方になるため注意が必要です。忌日法要と年忌法要の時期と内容については、以下の通りです。 line ohaka_bn Q お墓はいつ立てればいいのでしょうか? A 特に決まりはありません。昔は「逆修(ぎゃくしゅう)生前にあらかじめ死後の冥福を祈って仏事を行うこと」として、生前にお墓を建てる方も多かったようですが、最近では生前にお墓を建てると不幸が起こるなどと気にする方も多いと聞きます。ですが、浄土真宗はどちらの立場にも立ちません。 浄土真宗の教えは、阿弥陀様のご本願のはたらきによって、お浄土で仏に成らせていただくものです。ですから、お墓は亡き方のお骨を敬いおさめ、亡き方を縁にして私達が仏法を聞かせていただく場なのです。お墓を建てる時期やお墓の向きなどを気にする方がいらっしゃいますが、それは根拠のない迷信です。 建てる際には住職と相談し、お墓が建ったら建碑法要をお勤めしましょう。また、墓石に刻む文字は、「南無阿弥陀仏」や「倶会一處」などを使うことをお勧めします。。 仏事Q&A 教えて!? Bozu Question

「言葉」についてのQ&A

Q1.「愛(あい)」とは

A.「愛」とは仏教語であり、迷いや貪りの根源となる悪の心の働きのことを言います。もともとのサンスクリッド語の意味は「渇き」です。のどが渇いたときに水を欲するような本能的な欲望で、根本的な煩悩を指します。

Q2.「安心(あんしん)」とは

A.一般的には「心配が無く、心が安らかなこと」を言いますが、浄土真宗では「アンジン」と読んで、「阿弥陀仏の本願を信じ、念仏をして浄土に往生できると確信して疑わないこと」を言います。

Q3.「安楽(あんらく)」とは

A.一般的には「心身に苦痛が無く、この上もなく楽な状態」を言いますが、仏教では「極楽浄土」のことを意味します。

Q4.「一念発起(いちねんほっき)」とは

A.一般的には「思い立ってあることを成し遂げようと決心すること」を意味しますが、浄土真宗では「阿弥陀仏の本願を信じる心が初めておこること」を意味します。

Q5.「一味(いちみ)」とは

A.仏教では貴賤、男女、大小に関わりなく平等無差別であることを意味します。これは「海水」が全て同一の塩味であるのに例えたものです。

Q6.「引導(いんどう)」とは

A.一般的には「引導を渡す。」など「諦めきれない人に最終的な言葉を言い渡して、諦めさせる」という意味で使われますが、仏教では「迷っている人々を仏道に導くこと」を言います。※浄土真宗では葬儀で「引導の儀式」は行いません。

Q7. 「過去・現在・未来」とは

A.時の流れを表す日常語ですが、仏教ではこれを「三世」と言い、「前世・現世・後世」とも言います。「時間」を存在するものの変遷ととらえるため、「過去」は「現在」の原因として、「未来」は「現在」の結果と考えるので「現在」が最も重要と考えます。

Q8.「高座」とは

A.一般的には寄席などで演芸を演じる場所を「高座」と呼びますが、仏教においては法要の時に導師の座る仏前の高い座や、説教の時に講師の座る高い座を指します。寄席の「高座」は後者が転じたものです。

Q9.「言語道断(ごんごどうだん)」とは

A.一般的には「もってのほか」や「とんでもない」という意味で用いますが、もともとは仏教語で「言語で説明する道絶えた」という意味です。言葉では表現しえない深い真理を指しており、悪い意味合いではありません。

Q10.「他力本願(たりきほんがん)」とは

A. 今日一般的には「他人の力をあてにする」とか「他人任せ」という意味で使われますが、本来は親鸞聖人が「教行信証」に書かれた「他力といふは如来の本願力 なり」から来ており、「仏様が生きとし生けるものを救わずにはいられない」という阿弥陀仏の慈悲のはたらきを意味します。


「教え」についてのQ&A

Q1. お経とは?

A. お釈迦さまの尊い説法を文字に記録して伝えてきたものです。

  Q2.浄土真宗のお経とは?

A.真宗の正依( しょうえ )(正しい拠り所)の経典は、『仏説 (ぶっせつ) 無量寿経 (むりょうじゅきょう)』『仏説 (ぶっせつ) 観無量寿経 (かんむりょうじゅきょう )』『仏説( ぶっせつ )阿弥陀( あみだ )経( きょう )』の三部経で、これを「浄土 (じょうど) 三部 (さんぶ) 経(きょう )」と呼びます。

  Q3.親鸞聖人の主な著述は?

A.『教( きょう )行( ぎょう )信証( しんしょう )』『三帖和讃(さんじょうわさん )(浄土和讃( じょうどわさん )・高僧和讃( こうそうわさん )・正像末和讃(しょうぞうまつわさん ))』が有名です。


「日常生活」についてのQ&A

Q1.浄土真宗の日々のおつとめは?

A.日々のおつとめとして、おつとめの本(日常勤行聖典など)にしたがいますが、『正信偈(しょうしんげ)』『重誓偈(じゅうせいげ)』『讃仏偈(さんぶつげ)』『ご和讃』『御文章』などがあります。


「仏壇」についてのQ&A

Q1.お仏壇とは?

A.家族の心が一つになる(仏さまを中心とした)ことのできる場所であって、決して死者のいれ物ではありません。

Q2.お仏壇の方角とは?

A.迷信・俗信にまどわされることはありません。お参りしやすい場所なら、どの方角になってもかまいません。

Q3.浄土真宗のご本尊とは?

A.真宗のお仏壇のご本尊は、阿弥陀如来です。その他の仏さまは、いっさい安置しません。

Q4.お仏壇の種類?

A.お仏壇の種類を大きくわけますと、①金仏壇(漆塗りで、きらきらと輝く美しい仏壇)②唐木仏壇(黒檀や紫檀、桜などの生地を生かし、落ち着いたおもむきのある仏壇)③新仏壇(プリント合板やプラスチックなどの新しい素材を用いた新型の仏壇)の三種類です。これらの仏壇はそれぞれの状況や好みに合わせて選べばいいのですが、西本願寺(ご本山)から下付していただいたご本尊(方便法身尊形 (ほうべんほっしんそんぎょう )=阿弥陀如来の絵像や名号)の大きさが、大きいものから小さいものまでいくつかありますので、ご本尊の大きさにあわせてお仏壇を選ぶようにしましょう。

Q5.位牌を安置する?

A.位牌は真宗では原則として用いません。位牌は儒教のならわしで、もともと仏教のしきたりではないからです。真宗では、ご先祖や亡き人をしのぶ場合、過去帳や法名軸 (ほうみょうじく)をお仏壇に安置します。

Q6.仏前にお水を供える?

A.真宗では、お仏壇やお墓にお水を供えないのが昔からのしきたりです。

Q7.仏前にお膳を供える?

A.真宗のお仏壇には、他宗でみられるような小さな「ご霊膳 (りょうぜん) 」は供えません。


「言葉」についてのQ&A

Q1.「諦め(あきらめ)」とは?

A.一般的には「どうにもならないことを断念すること」ですが、仏教ではお釈迦様の教え「四諦」の「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の四つの真理という意味で、動詞としては「真理を悟る」ことを意味します。

Q2.「阿号(あごう)」とは?

A.観阿弥や世阿弥など名前の下に「阿弥陀仏」を略して「阿弥」「阿」をつけるのを「阿弥陀仏号」と言い、略して「阿号」と言います。これは俊乗房重源が自ら「南無阿弥陀仏」を名としたところから、中世以降に仏工や画工や能楽者などが好んで用いました。

Q3.「一大事(いちだいじ)」とは?

A.一般的には「容易でない事態」を言いますが、仏教では「お釈迦様が生けとし生けるものを救うためにこの世に現れたこと」を指します。

Q4.「一蓮托生(いちれんたくしょう)」とは?

A.一般的には「行動や運命を共にすること」を意味しますが、仏教では「死後、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれること」を意味します。

Q5.「有頂天(うちょうてん)」とは?

A.一般的には「得意の絶頂であること」を意味しますが、仏教では迷いの世界を「六道(ろくどう)」といい、その一番高いところが「天」であり、さらにその一番上を「非想非非想処天(ひそうひひそうじょてん)」といいます。あらゆる存在者にとっての最高の境地を指します。

Q6.「有象無象(うぞうむぞう)」とは?

A.一般的には「 取るに足りない種々雑多な人々 」という意味で使われますが、仏教では「有相無相」とも書き、「有形無形の一切のもの、森羅万象」を指します。

Q7.「会釈(えしゃく)」とは?

A.お釈迦様の説法を「対機説法」とか「応病与薬」などといわれるように、中には一見矛盾しているように思われるものもあります。それらの相違点を掘り下げてその根本にある、矛盾しない真実の意味を明らかにすることを、仏教では「会釈」「会通」と言います。

Q8.「和尚(おしょう)」とは?

A.これはサンスクリッド語で「ウパーディヤーヤ」であり、その俗語の「オッジャー」を音写した、先生や師匠を意味する語です。その後中国や日本でも用いられ、日本では朝廷が僧侶の官位を示す言葉として採用され、現在は一般的に僧侶を親しく呼ぶときに使われています。

Q8.「億劫(おっくう)とは?

A.一般的には「めんどくさい」という意味で用いますが、もともとは仏教語の「おっこう」がなまったものです。「劫」は仏教では極めて長い時間を指し、「億劫」はその一億倍ということなので、とてつもなく長い時間を意味します。

Q9.「隠密(おんみつ)」とは?

A.一般的には「人に悟られないように隠して事を行うこと」という意味で使われますが、仏教では「お釈迦様の教え」の本旨が経典に明瞭に顕れている教えと奥に隠されている真理があり、前者を「顕彰(けんしょう)」といい、後者を「隠密」といいます。


「言葉」についてのQ&A

Q1.「縁起(えんぎ)」とは?

A.すべての物事にはそれを生んだ「因」と「縁」とがあり、それを「因縁生起」といいます。仏教では他の多くのものの恵みのお蔭で私たちは生かされているということを意味します。

Q2.「演説(えんぜつ)」とは?

A .仏教ではお釈迦様の教えを演べ、説くことをいいます。

Q3.「懐石料理(かいせきりょうり)」とは?

A.一般的には茶会で出される「 一汁三菜」の料理を言いますが、もともとは「修行僧が温めた石を懐へ入れてお腹を温める程度にお腹を満たす料理」という意味です。

Q4.「開発(かいはつ)」とは?

A.もともとは仏教語で「カイホツ」と読み、「他人を悟らせること、自らの仏性を打ち開くこと」を意味します。

Q5.「懺悔(ざんげ)」とは?

A.キリスト教の言葉と思いがちですが、仏教では「サンゲ」と読み、江戸中期以降に「ザンゲ」と読むようになり、「自分の犯した罪を仏の前に告白し、悔い改めること」を意味します。

Q6.「頭陀袋(ずだぶくろ)」とは?

A.一般的には「 何でも入れる布製の袋 」を指しますが、「頭陀」はサンスクリット語で「ふるい落とす」という意味で、煩悩や欲を捨てひたすら仏道修業をすることを「頭陀行」といい、そのような修業者が携帯品を入れて首から下げた袋を「頭陀袋」と言いました。

Q7.「世知辛い(せちがらい)」とは?

A.よく「世知が無い世の中」という風に使われますが、正しくは「世知辛い世の中」で、「世知」は仏教語で「俗世間の凡夫の知恵」を意味し、「小賢しい。抜け目が無い。」という意味です。

初めての人の浄土真宗の教え 私達はいま自分が迷っているという認識がありません。自分のことは自分が一番分かっていると思っています。 しかしながら、自分自身の明日さえもわからないのが本当のところではないでしょうか? 迷っている者同士がいくら集まって話し合っても解決の道を見つけることはできません。 悟られた方の言葉にしたがうほかはないのです。 浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、その解決の道を阿弥陀如来のご本願に求められました。 阿弥陀如来のご本願とは「いのちあるすべてのものを救いとる」という願いであり、 「南無阿弥陀仏」というお念仏を称える者はみんな、この世で命が終わったと同時に 阿弥陀如来が建てられたお浄土に仏として生まれさせていただくのです。 そしてまた、阿弥陀如来の願いを聞くことにより、心豊かな人生を歩み、「南無阿弥陀仏」というお念仏とともに、 喜びの日々を送ることのできるのです。 悲しいとき、つらいとき、静かに仏さまに手を合わせお念仏を称えてみてください。 心が落ち着いてくるでしょう。〜お念仏の生活のスタートは、よろこびの人生のスタートです〜お念仏を通して、私たちは幸せも不幸せも関係なく、 いただいた「いのち」をただひたすら 精一杯に生きていくことができるのです。お念仏の人生は、安らかな喜びの中にあって、 自己中心的な生き方を見つめ直すことができます。 line abc3 abc4-1  abc5-1 ◎浄土真宗のみ教えの3つのキーワード 「他力本願」という言葉は、浄土真宗において、み教えの根幹に関わる最も重要な言葉です。 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がいわれた「他力」とは、自然や社会の恩恵のことではなく、もちろん他人の力をあてにすることでもありません。また、世間一般でいう、人間関係のうえでの自らの力や、他の力という意味でもありません。「他力」とは、そのいずれをも超えた、広大無辺な阿弥陀如来の力を表す言葉です。 「本願」とは、私たちの欲望を満たすような願いをいうのではありません。阿弥陀如来の根本の願いとして「あらゆる人々に、南無阿弥陀仏を信じさせ、称えさせて、浄土に往生せしめよう」と誓われた願いのことです。この本願のとおりに私たちを浄土に往生させ、仏に成らしめようとするはたらきを「本願力」といい、「他力」といいます。 私たち念仏者は、このような如来の本願のはたらきによる救いを、「他力本願」という言葉で聞き喜んできたのです。ここにはじめて、自らの本当の姿に気づかされ、いまのいのちの尊さと意義が明らかに知らされるのであり、人生を力強く生き抜いていくことができます。 「悪人正機」とは、「悪人こそが阿弥陀如来の救いの本当のめあてである」という意味で、阿弥陀如来の慈悲のこころを表す言葉です。 阿弥陀如来は、平等の慈悲心から、すべての生きとし生けるものに同じさとりを開かせたいという願いを発されました。だからこそ、この慈悲のこころは、今現に迷いの中で苦しんでいるものに注がれるのです。 ですから、「悪人正機」という言葉を聞いて、悪事を犯してもかまわないと開き直ったり、悪いことをしたほうが救われると考えるのは、誤った受けとめかたです。 経典には、この如来の慈悲が、<病に苦しんでいる子に特に注がれる親の愛情>にたとえて説かれています。親鸞聖人は、このような阿弥陀如来の慈悲に出遇い、その慈悲が注がれているのは、他でもない煩脳に満ちあふれた自分自身んであると受けとめられました。 私たちは毎日いろいろな生き物のいのちを奪いながら生きています。また、めぐり合わせによってはどんな恐ろしいことでもしてしまします。このような私の姿に気付かせ、同時にそのまま救い取ってくださるのが阿弥陀如来の慈悲であり、そのこころを表すのが「悪人正機」という言葉です。 abc9  

コンテンツ

  • ホーム
  • 始めての人の浄土真宗の教え
  • カラフル+ブログ
  • お寺だより
  • 山口県お寺図鑑
  • お問合せ

ごえん.net やまぐち All Rights Reserved Shin-Buddhism goen net 2013

ページトップへ

プライバシーポリシー